Yazさん、ありがとう

まさか数年前に一度だけ恵比寿のウェスティンホテルで会って、それ以降一度も顔を合わせることもなくYazさんとお別れになるなんて思ってもいなかった。まさかインターネット経由でお悔やみを読むことになるなんて思ってもいなかった。

Yazさん、ありがとう

まさか数年前に一度だけ恵比寿のウェスティンホテルで会って、それ以降一度も顔を合わせることもなくYazさんとお別れになるなんて思ってもいなかった。まさかインターネット経由でお悔やみを読むことになるなんて思ってもいなかった。

Yazさんというのは僕の知り合いです。知っている人が偶然読むかも、という気持ちでこれを書いているのでそれ以上特に紹介はしません。彼はつい1週間ほど前に亡くなっていたことを先ほど知りました。


Yazさんに最初にあったのは20年くらい前。当時のWeb日記という世界で知り合いました。

2018年の今はどうなのかは知らないけど、1999年にアメリカの大学を卒業した自分にとっては最初の就職はなかなかハードルが高かった。

当時はちょうどドットコムバブルがはじけたばかり。この世の終わりではなかったけど、一旦勢いがなくなって、解雇や倒産の話もそれなりにあった。

日本のもそうなのかもしれないが、当時の自分の求めていた職種についてのアメリカの求職欄はだいたいこう始まる「ジュニア・プログラマ: 要業界経験3年」大学出たてなのに3年の経験なんてないよ… アメリカ人ならバイト等もできるけれども、大学にいる間は学生ビザの外国人だから就職もできなかったし。

さらに外国人はH-1Bというビザがないと就職できない。アメリカの大学を卒業した人には救済措置として大学卒業後1年の間、就職する権利を持ちつつ合法滞在できる制度があるのだけど、この期間中であれば、とりあえずH-1Bビザの申請をしつつ働き始めることはできる… が、そもそもこ雇用側にしてみればH-1Bはそれなりに面倒くさい手続きを踏まないといけないし、さらに法律上の建前としては「外国人を雇う前にアメリカ人を同様の条件で探し、それでも外国人のほうが(スキルが上だった等の)条件に合致していた」という宣誓的なことをしないといけない。

そんな状況でとにかく日々の糧を得ないといけないので、なんとか応募し、一応いくつか職は得られるものの(なんせ一応「IT技術者(笑」だし)、最近よく話にあがる技能研修生じゃないけど、結構な搾取をされていた。あとで色々話をまとめたら当時のまともな技術系の会社の半分強くらいの給料で雇われていたらしい。


就職のため、という意味では正しい大学と専門分野に行っていたはずなのに、かなり辛い生活で、毎食20セントのいかにも体に悪そうな即席Ramen(注:「ラーメン」ではない)を食べながら、なんとか生活費や生活必需品の車の保険料金を捻出する生活をしていた。

アメリカに滞在できる時間もあと半年ほどとタイムリミットがせまってた。


この時、インターネットで発信していなかったら、Yazさんには会っていなかっただろう。

僕の窮状を見たYazさんは、心配して(しかし多分彼にとっては本当に「とりあえずやってみる?」程度の気持ちだったろうが)、当時の彼の勤務先である某スタートアップの会社の面接の段取りをしてくれた。

当時自分も必死だったので、人生で最高に頑張って面接にのぞみ、1日に10人の人と面接して疲労困憊になりながら、結果的になんとかその会社に潜り込めた。

その後自分が日本に帰ることを決めた時も、帰国に先がけて車を売ってしまった自分に古いピックアップトラックを1週間貸してくれたり、ちょこちょこと親切にしてくれた。


就職に関しては彼が直接してくれたのは本当に紹介してくれただけで、そのあとも結局Yazさんとは専門分野も違ったし、直接一緒に働くことはほとんどなかったのでずっとぼちぼちの距離感で同じビルで働いていた。なので仲が良かったのかと聞かれるとどうだろう、という感じ。

でも本当にあの一瞬の「ちょっと紹介してあげるよ」が22歳の自分にとっては世界の終わりに近い状態から脱出するための蜘蛛の糸になってくれたのだ。それは間違いない。そういう親切がナチュラルにできる人だった。

会社に紹介してもらった時はもちろんちゃんと御礼を言ったけど、もっとくどくど何回でも言えばよかった。面倒臭がってきっと下ネタで逃げられたと思うけど。でも言えばよかった。


Yazさん、ありがとう。

自分もできれば誰かにとって蜘蛛の糸を垂らしてあげらえるように、がんばります。